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奈良の子ども白書づくり実行委員会のブログ


by kodomowomamoru

羽仁説子さんのこと

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第五回集会の講演者の羽仁説子さんは、当時子どもを守る会の副会長、
長田会長の死去後は二六年間も会長をつとめ、精力的に活動されました。
子どもを守る文化会議で、第五回集会の他にも、
第一三回、一六回、一七回、一九回の集会で計五回記念講演を行っています。

大正デモクラシーの中で、父吉一さんと母もと子さんが創設した自由学園に学び、
戦時下では、夫の羽仁五郎さんとともに治安維持法による受難の経験者であっただけに
歴史に未来を担う子どもを守る運動によせた期待はなみなみならぬものがあったようです。

コドモという字を「子供」ではなく、「子ども」と表記するべきだ
と主張したのは、羽仁説子さんだったそうです。
「『子供』の『供』とは『供える』とか『従える』という意味でしょう。
そうじゃないのよ。未来の主人公、生きる主体である子どもに
そんな文字を当てるのは間違いだわ」
という主張を繰り返し、やがてそれが広く定着していくことになったようです。

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羽仁さんが精力的に執筆、編集し、普及につとめた
雑誌『子どものしあわせ』は、
いわさきちひろさんの表紙絵とともに
一時、全国の二〇万人の読者に読まれました。
奈良にも教師や保護者の間に広く読書会が行われていました。
『子どものしあわせ』は現在でも草土文化社より刊行されています。

1987年、羽仁さんは84歳で亡くなりました。
その2年後、国連総会が「子どもの権利条約」を採択しました。
羽仁説子さんこそ、日本においてこの「子どもの権利条約」の成立のため
生涯を捧げた方だったといえるでしょう。

羽仁 説子(はに せつこ、1903年4月2日 - 1987年7月10日)

東京都出身の教育評論家。
羽仁吉一、羽仁もと子の娘として東京に生まれる。
自由学園を卒業、『婦人之友』記者、自由学園教授などを務める。
森五郎(羽仁五郎)と結婚。1946年婦人民主クラブの創設に参加する。
1952年日本子どもを守る会の発足に参加。
女性運動、児童福祉、性教育などに活動、発言した。
『羽仁説子の本』全5冊がある。
息子は映画監督の羽仁進、娘は羽仁協子。

※写真は『花には太陽を子どもには平和を』『子どもの尊さ』(子どもを守る会編)
より転載しました。
by kodomowomamoru | 2008-02-03 10:52 | 子どもを守る文化会議の歴史