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奈良の子ども白書づくり実行委員会のブログ


by kodomowomamoru

カテゴリ:3/31桜咲く大和路バスツアー( 11 )

3月31日(月)に奈良実行委員会オプショナル企画として計画している
「大和路バスツアー」が大変好評で、参加申込数が2月22日現在で60名を超えました。
これで観光バス一台分定員を超えましたので2台目のバスを予約しました。

しかし、昼食場所、駐車場等の容量、実行委員会の運営実力を考えると
観光バス3台は不可能です。

したがって、
バスツアーはバスもう一台分(60名定員)で締め切らせていただきます。
参加御希望の方は予約申込みをお急ぎください!
誠に申し訳ありませんが、先着順とさせていただきます。

by kodomowomamoru | 2008-02-22 19:22 | 3/31桜咲く大和路バスツアー
3月31日(月)の奈良実行委員会オプション企画「桜咲く大和路バスツアー」が好評で
予約受付から28名の予約がありました。現在は、ほとんどが奈良県外者です。

当初、30名の採算ラインを下回るようなら、
観光バスではなくて電車、路線バスでと考えていましたが、
どうやらバスツアーは成立の様子です。

しかし、今度は逆にバスの定員60名を上回るようなことになると
2台目のバスを予約しなくてはならなくなるのでは?と
実行委員会ではうれしい悲鳴です。

参加者数をなるべく早めに確定してバスの予約をしたいと思いますので
ツアー参加をお考えの方は、早めに予約をお願いします。

桜咲く大和路バスツアーポスター(クリックすると大きくなります)
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by kodomowomamoru | 2008-02-11 17:12 | 3/31桜咲く大和路バスツアー
大和路バスツアーの解散は近鉄橿原神宮前駅です。c0147567_17431799.jpg

奈良までバスで戻ると国道が渋滞して遅くなってしまうので、
橿原神宮前駅で解散とすることにしました。
ご了承ください。


近鉄橿原神宮前駅は
京都線で京都駅へ特急で56分
南大阪線で大阪阿倍野橋駅(JR天王寺駅と隣接)まで特急で42分です。
(クリックすると大きくなります)
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3月31日の時刻表です。参考にしてください。

橿原神宮前駅  京都駅
16:08      17:19  急行
16:37      17:48  急行
16:55      17:51  特急

橿原神宮前駅  大阪阿倍野橋駅
16:03      16:44  急行
16:14      16:52  特急
16:30      17:12  急行
16:44      17:22  特急
17:00      17:42  急行
by kodomowomamoru | 2008-01-05 13:06 | 3/31桜咲く大和路バスツアー
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いよいよツアー最後の地「神武天皇陵」です。

c0147567_20595860.jpg神武天皇は、古事記、日本書紀で初代天皇とされている人です。
戦前の教育を受けられた年配の方々は、
「神武、綏靖、安寧、懿徳・・・」という歴代天皇暗唱のトップでしたし、
長髄彦(ながすねひこ)軍との戦いで、
金色に輝く鵄(とび)のとまる弓をもった
ヒーロー神武天皇の姿を思いうかべるのかもしれません。

しかし、これまで紹介してきた古墳とは違い、
ここを神武天皇の御陵と定めたのは幕末の文久3年(1863)のこと。
「神武天皇陵」に比定される前は
田んぼのあぜ道に盛り上げられた土饅頭程度だったようです。
それを、幕末から明治の大修築を経て、
さらに、大正年間に立派な円墳に造りかえられました。

日本書記によると・・
神武天皇は、辛酉(かのととり)の年1月1日に
天皇は橿原宮に即位しました。
この年を天皇の元年とすると、日本書紀ではなっています。
これが、今の暦になおすと、紀元前660年2月11日なんだとか。
ん? BC? 弥生時代です!

ちなみに、在位は76年間だったそうですが、
計算すると137歳まで生きていたってことになってしまいます。
そして、1874年より2月11日が紀元節(現在の「建国記念の日」)に定められました。

現代のアカデミズムに属する学者による標準的な日本古代の歴史叙述では、
この時代は主として考古学を証拠として記述されており、
「神武天皇はいたであろう」というようなスタンスで書かれたものは存在しません。
学問的な厳密さからすれば当然のことであろうと思われます。

国家による「歴史の偽造」が行われたのです!

さらに、1889年(皇紀2550年!)には畝傍橿原宮があったとされる
畝傍山近くに、神武天皇を祭神とする橿原神宮が建立されました。

そして、昭和13年から神宮と神武陵の拡張整備をしているのですが、
昭和15年が皇紀2600年にあたります。
(ちなみに「ゼロ戦」の「ゼロ」はこの年にできたからだとか)

これも、キリのよい年に向けて、国をあげて皇紀2600年を祝おう・・・
ということで、この周辺を「青少年に国体観念を涵養する」ための「橿原道場」
(現在は「橿原公苑」)として整備したようです。
この建設のためには、勤労奉仕で多くの「臣民」がよろこんで汗を流したと・・・
「建国奉仕隊」として、献木の樫の木植えに参加したという
浜田博生(当時少年)さんが言っておられました!?
作業日数延べ500余日、7200団体、延べ121万人もの人が動員され
献木も、約8万本とか・・・すごい数字です。

大和高田市のある小学校の建国奉仕隊
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このような大がかりな「歴史の偽造」がなぜ行われたのか?
それは、「天皇は日本の建国の祖にして万世一系の血筋正しき存在」
という神聖性を具現化する方法として
国家が、古墳という歴史的産物と天皇を祭らせる神社を
そのひとつの装置として利用したのです。

そして、橿原道場では、「健全なる日本精神を涵養する」ための
行事や訓練が連日行われ、国の富国強兵政策のもとで、
橿原は「建国の聖地」として、靖国神社とともに
国民を戦争へと向かわせる一大装置となってしまいました。

今でも、2月11日になると、全国からありとあらゆる右派団体が集まり
日の丸や軍艦旗が振られ、教育勅語が配られ
これが本当に21世紀の日本なのかと疑いたくなるような光景を目にします。
日本最大の右派・保守系団体の日本会議は
日本の伝統文化を学びに奈良・京都へ修学旅行に行かせるべきだ
という主張と方針をもっていますが、
奈良といってもこの橿原神宮と「神武天皇陵」にいかせたいのです。

『新しい歴史教科書[改訂版]』(扶桑社)は、1ページにわたり
「神武天皇の東征伝承」という神武神話を紹介し、最後に次のように記述しています。
「大和朝廷がつくられるころ、すぐれた指導者がいたことは、たしかである。
その人物像について、古代の日本人が理想をこめてえがきあげたのが、
神武天皇の物語だったと考えられる。
だから、それがそのまま歴史上の事実ではなかったとしても、
古代の人々が国家や天皇について持っていた思想を知る大切な手がかりになる。」

私たちはツアーの最後に、「負の遺産」としてのこの近代遺跡を
みなさんと巡りながら、一緒に日本という国の過去と未来を考えたいと思っています。
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by kodomowomamoru | 2008-01-03 21:00 | 3/31桜咲く大和路バスツアー
世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された
「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて、
世界遺産リストに登録された遺跡や景観そして自然など、
人類が共有すべき普遍的な価値をもつものを指します。

日本においては、
1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」が初めて世界遺産に登録され
1998年に「古都奈良の文化財」
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」
が世界遺産登録されて、奈良には3つの世界遺産登録された遺産があります。

2007年1月、日本政府は、世界遺産登録の前提となる暫定リストに
「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」を登録しました。


過去に登録された遺産と比べても、その文化的価値からいって
追加登録されるのは、ほぼ間違いのないところだと思います。
そうなれば、今はあまり有名とはいえない遺跡・史跡も
一挙に注目をあび、その価値があらためて認められることになるでしょう。

喜ばしいことです。基本的には・・・・

しかし、このブログで今まで書いてきたように、
個々の文化財には、それぞれ「普遍的な価値」があり、
世界遺産登録されようと、されまいとその価値は変わりません。
(登録リストには「箸墓」も「オオヤマト古墳群」も入っていません)
今、その価値を認めようとしない人たちが
登録されたからといって、突然その価値が上がったかのようにふるまい
登録された文化財だけを珍しがり、ありがたがって見物に訪れるようになるのは、
あまり気持ちのいいものではありません。
(「岩見銀山」なんか、そのいい(悪い?)例では。)

また、文化財の価値に光をあてるための調査研究に地道にとりくんでおられる方々
ふるさとの文化財・自然に誇りをもち、保存・継承のために苦労しておられる地元住民
などを無視して、「古代のロマン」に酔うばかりでは、どうでしょう?

それに、そもそもユネスコの目的は、登録された文化財その他を
保全し、後世に遺産として引き継いでいくためであるはずです。
観光によりその「顕著に普遍的な価値」に気づく人が増え
そのことにより、文化財への理解や保存・継承への努力がなされていくのは
大変いいことだと思います。
また、そのことで研究者や地元住民などの功績が認められ、
そんな人々への支援やのとりくみへの参加が広がっていくことも期待したいことです。

しかし、「世界遺産登録」を単なる観光ブランドにしか考えず、
「登録されれば観光客がぎょうさん来ていくら儲かるやろ?」
とそろばん勘定しかしていないと思われる人々が多い!のが残念でなりません。

アクセス道路が必要だからといって平城宮跡地下に高速道路をつくろうとしたり
宿泊施設が足りないからといって景観を破壊する高層ホテルを誘致したり
遷都1300年祭事業のために、遺跡を破壊するパビリオンを建てようとしたり・・・
こうした問題が起こってきているのも事実なのです。

観光化を図ることは、奈良県の経済上も大変大切な課題だと思います。
しかし、多額な税金を使い、文化財や景観を破壊して進めようとしている開発は
そこに発生する利権をめあての所業だとしか思えないのです。

そのほかにも、
見瀬丸山古墳の隣には高層マンションが建設されようとしています。
オオヤマト古墳群には、バイパス建設が計画されています。
宅地に、ビルに、ゴルフ場に、産廃施設に、今日も文化財が破壊されていきます。

開発と保全という、こうした難しい問題を解決していくためには、
なによりも、その価値を学び、理解を広げていくことが重要だと考え
「子どもを守る文化会議」という大変貴重な大会の参加者のみなさんに
ぜひ参加していただきたいツアーを私たちは企画しました。

ナビゲーターの一人、浜田博生さんは、
「奈良の文化と自然と景観の世界遺産登録を実現し、保全・継承を求める市民ネットワーク」
(略称「奈良世界遺産市民ネットワーク」)というNGOを作り、
市民的に歴史講座を開きながら、
その遺産の保全・継承・活用の運動を精力的にやっておられる方です。
平城宮跡破壊の道路建設問題では、
ジュネーブのユネスコの本部や南アフリカ大会まで
代表団を派遣して、意見を表明してこられました。
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私たちは、こうした文化財や自然、景観が見捨てられ、壊され、失われようとしている現状を
「いっそ、世界遺産に登録してもらって破壊から守ろう」
という皮肉な活路として利用しているのかもしれないと思うことがあります。

しかし、「世界遺産に登録されるに値する価値のある文化財・自然・景観だ」
ということを一人でも多くの人にわかってもらい、学んでもらうことが
その保全・継承・活用につながる一歩なのだと信じています。

東大寺とか法隆寺とか花形の文化財には立ち寄らないツアーですが、
その価値をわかっていただくにはいいところ、スタッフを選んだと思っています。
ぜひ、参加して、私たちと一緒に見て、学んで、考えてください。
by kodomowomamoru | 2008-01-03 18:32 | 3/31桜咲く大和路バスツアー
見瀬丸山古墳(みせまるやまこふん)は、
奈良県橿原市見瀬町、五条町、大軽町にまたがった地区に存在する
全長は318メートル(奈良県最大、全国でも6番目)の前方後円墳です。
6世紀後半に築造されたと推定されており、研究者の間においては
欽明天皇と堅塩媛の陵墓であるとの説が有力視されています。
(欽明天皇は推古天皇のお父さん、厩戸皇子[聖徳太子]のお祖父ちゃん)
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宮内庁は、天皇家もしくはその関係者の墓として管理している古墳を
「陵墓」ないし「陵墓参考地」と言っています。
明治期に天皇を頂点とした政治的枠組みの強化が図られた時に、
その先祖の墓である陵墓の管理強化も行われました。
「天皇は日本の建国の祖にして万世一系の血筋正しき存在」
という神聖性を具現化する方法の一つとして古墳という歴史的産物を利用したのです。
戦後もその名残か、「陵墓」「陵墓参考地」は一般人・研究者の立ち入りを禁止されています。

ましてや、発掘調査なんてもってのほか、という態度です。
(陵墓の裾回りの護岸工事に伴う調査などは、
宮内庁書陵部職員により発掘されることもありますが、
研究者などの立ち入りは「見学」程度しか許されません)

「陵墓」「陵墓参考地」は法律上、
遺跡(文化財保護法の規定では、周知の埋蔵文化財包蔵地)ではないのです。

小説『箸墓幻想』でも、殺人犯の母娘が罪が発覚することを覚悟し、
箸墓の墳丘内で自殺するのですが、警察さえ立ち入りを認められず、
宮内庁職員によって見分、処理が行われるのを
刑事や警察職員が地団太ふんでくやしがるシーンが登場します。

宮内庁はその理由として、次のような理由をあげています。
●皇室において祭祀が継続して行われているところであり、
皇室と国民の追慕尊崇の対象となっているから
●静安と尊厳の保持が最も重要なことであり、
部外者に陵墓を発掘させたり立ち入らせたりすることは厳に慎むべきであるから

しかし、文献史学の成果による天皇家の実在性の成否、
発掘調査による考古学の成果による認定の成否などにより、
「陵墓」「陵墓参考地」そのものの根拠が大きく揺らいできています。

今や、宮内庁のこうした態度が、研究にも非常に大きな支障になっています。
明治天皇下の天皇と日本国憲法の下の天皇との地位は全く変わっている現在
万世一系の天皇統治すの感覚で古墳を管理することが
そもそも間違いであるといわざるをえません。

日本の歴史で謎の多い古代国家形成期の歴史を解明するためには、
大古墳の調査が欠かせません。
三世紀から六世紀までの古墳は大型の前方後円墳で、
築造技術を駆使して造られた文化的価値は高く、
また日本が世界に誇る文化財でもあります。
これを積極的に公開し、調査研究していくよう法改正するべきだと考えます。

ツアーでは、この見瀬丸山古墳の墳丘に登って古墳の様子をみてもらいます!
大丈夫かって? はい、大丈夫です。
なぜなら、「陵墓参考地」とされているのは、後円部の林になっている部分だけなので、
前方部には登ることができるのです。
登りましょ、登りましょ!「欽明天皇陵?」に!(墳丘から見えるのは畝傍山です)
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この古墳には、こんな話もあります。
1991年、橿原市在住の子どもが友だちと遊んでいる際中に
古墳の柵外(「参考地」外)において横穴式石室羨道への入り口を発見しました。
この話を聞いたある子どもの父親は、早朝の出勤前に自身の子どもと共に
羨道を通って内部に入り、カメラで石室内部を撮影しました。
その父親から連絡を受けた大阪の朝日放送が撮影写真の解析を、
東海大学情報技術センターとコニカの共同作業によっておこないました。

二つある家形石棺はどちらもふた近くまで泥で埋まっており、
ふたに付く縄掛け突起の特長から、
手前の石棺は6世紀の第3四半世紀に、
奥の石棺は7世紀の第1四半世紀にそれぞれ造られたと推定されました。
石室正面を構成する花崗岩の巨石は重量が100トンを越えると推定されており、
石舞台古墳の75トンの石をもしのぐ大きさであることがわかりました。

その後、森浩一・同志社大学教授(当時)が
12月10日の大阪講演でこの話を取り上げたところ、
12月26日テレビ朝日のニュースステーションの番組内において
撮影された30枚の写真を公開しました。

このことで、ますますこの古墳が本物の「欽明天皇陵」だという可能性が高まったのですが、
宮内庁はそれでもやっぱり調査を認めようとはしていませんでした。
宮内庁が「欽明陵」として管理する古墳は飛鳥にあります。
やっぱりおかしいよね~!どう考えても。

宮内庁書陵部公開 見瀬丸山古墳内部
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by kodomowomamoru | 2008-01-03 16:53 | 3/31桜咲く大和路バスツアー
昼食後、バスツアーが向かうのは、
文化財研究所都城発掘調査部展示資料室 です。

2007年は、高松塚・キトラ古墳関連のニュースが連日報道されましたが、
そのほかにも、この地域の発掘、発見が新聞紙の一面を飾るようなことがたびたびありました。
①2月2日 甘樫丘東麓遺跡で蘇我氏邸宅?の石垣発見
②4月13日 纒向(まきむく)古墳群すべて前方後円墳と確定
③9月27日 纒向(まきむく)遺跡で最古の木製仮面出土 10月3日 最古のベニバナ花粉出土
④11月30日 藤原宮跡から富本銭と水晶を入れた最古の宮殿地鎮跡出土
⑤12月7日 脇本遺跡から銅鐸リサイクル工房跡発見

いずれも、日本史の教科書を書き換える大発見ばかりです。
これらの発見の現場で、古代日本の姿を探るための
調査研究に従事されている人たちがいます。
ツアーで見ていただきたいのは、この方たちの存在と仕事です。

私たちが訪れる奈良文化財研究所は、
上記の①③④にかかわる調査をしている研究機関です。
天の香久山のふもとにあるこの資料室は、文化財研究所の調査研究の中でも
特に藤原京に関する研究の展示が中心です。(写真は藤原京跡からの耳成山です)
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百人一首でもおなじみの
春すぎて 夏來にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山
を詠んだ持統天皇が夫の天武天皇の遺志をついで建設した日本初の都城「藤原京」。

平城京は結構有名で、朱雀門が復元され、
今、大極殿が復元工事中(これも文化財研究所のお仕事!)なのですが、
藤原京については、あまり知られていないのは残念です。

しかし、地元や日本政府は、今回私たちが巡る地域を
ユネスコの世界遺産登録しようと努力中です。(この話題は次回に)

さて、奈良文化財研究所は、文化庁の前身の文化財保護委員会に付属する
文化財の調査研究機関として1952年に発足しました。
以来、重要な調査を行い、
日本の考古学、歴史学の進歩に多大な貢献をしてきたところです。

しかし、省庁の再編など政府の行政改革推進の方針に基づき、
府省に所属する研究機関も再編成され、
文化庁に付属する東京国立文化財研究所と奈良国立文化財研究所の二つの研究機関は
2001年4月に統合し、独立行政法人文化財研究所となりました。

「官から民へ」というスローガンのなかで進められる改革が、
「文化」の視点や格差問題への認識、効率性の議論を欠いたまま進められており、
こうした公立研究所や博物館、美術館、天文台などの施設の存在意義を危うくしています。

また、指定管理者制度の導入により雇用、予算、評価の面で、
厳しい運営、経営をせまられている文化施設・団体がこの国全体の問題となっていますが、
花形のように思われる奈良文化財研究所も、その例外ではありません。

日本という国は、もっと「文化」を大事にする思想を持ち続けなくてはいけないと思います。
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橿原市藤原京資料館の藤原京復元模型
by kodomowomamoru | 2008-01-03 11:01 | 3/31桜咲く大和路バスツアー
バスツアーの昼食休憩は「石舞台」のとなりのレストランで。
ツアー料金は6000円と格安ですが、お料理はけちっていませんよ!
しっかりご馳走食べて満足していただくつもりです。

昼食後はしばしフリータイム。
飛鳥のシンボルともいえる「石舞台」を桜の花とともに楽しんでください。
石舞台のまわりは、歴史公園として整備されていますので、
ゆったりと、のんびりと散歩されるのもいいかも。

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この石舞台古墳は、古くから、巨石(花崗岩)で作られた玄室が露出しており、
その形状から石舞台と呼ばれていました。

玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、羨道は長さ約11m、幅2.5m。
石室内部に排水施設があります。
約30の石が積まれ、その総重量は2,300tに達すると推定されています。

盛土の上部が剥がされているため、その形状は、わかりません。
2段積の方墳とも上円下方墳とも下方八角墳とも推測されているそうです。
また、一辺51mの方形基壇の周囲に貼石された空濠をめぐらし、
さらに外提(南北約83m、東西81m)をめぐらした壮大な方形墳であるという説もあります。

外提の北西隅の外には刳坂(くりぬき)石棺を納めた横穴式石室があり、
発見当初は陪塚(ばいちょう)であろうと推測されていました。
しかしその後の調査で西側にも7基の横穴式石室が見つかり
いずれも石室内が整地されていたことなどから、
石舞台古墳の築造にあったってはその周辺にあった古墳を壊して移行したと考えられています。
古い古墳を壊してまで造られたのはどうしてなのでしょうか?

この巨大な墳墓の主は蘇我馬子だと言われています。
しかし、なぜ盛土がなくなってしまったのか不明です。
権力の大きさに比例して、恨みも大きなものだったので
削り取られ、暴かれてしまったのでしょうか?

飛鳥はいたるところスケールの大きい????だらけです。
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by kodomowomamoru | 2008-01-02 17:55 | 3/31桜咲く大和路バスツアー
飛鳥は、言わずと知れた古代遺跡の宝庫です。
とにかく掘ったら何か出てきて教科書が書き換わります。

2007年は高松塚古墳の石槨解体
(ニュースなどでよく「石室」解体と言っていますが、正しくは「石槨」解体ですね)
と壁画はぎとり作業の様子が報道され、話題を呼びました。

そのほかにも、飛鳥寺(法興寺)、甘樫の丘、橘寺など
ご案内したい史跡、遺跡はたくさんあるのですが、
今回、私たちがまずご案内するのは「酒船石遺跡」です。

飛鳥には、亀石、猿石など不思議な石の遺構がたくさん存在していて
その目的や由来などが謎に包まれているのが逆に魅力的です。
その中に「酒船石」という不思議な石があるのは昔から知られていました。

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酒を搾るために使われたとか、薬を調合するのに使われたとか・・・
ヘンテコな形とその大きさに、いろんなことが言われてきました。

しかし、2000年に酒船石のすぐ近くから大規模な遺跡が発掘されたのです。
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砂岩でできた湧水設備とそれに続く形で小判形石造物と亀形石造物が発見されました。
これら二つは水槽になっていて、水を溜めたと推定されます。
さらにそれに続いて石を並べた溝や石段があり、全体を囲むように石垣や石敷がありました。

これらの石造施設は、日本書紀に記述される斉明天皇の遺跡と推測されています。
斉明天皇は、あちこちに宮と大規模な石造庭園や運河を建設し、
民衆を苦しめたので、『日本書記』に「狂心の渠」(たぶれごころのみぞ)
と批判めいたことを書かれています。
この施設もその一つなのでしょうか?

その後、平安時代まで約250年間使用された形跡があり、
なんらかの祭祀が行わていたのではないかと考えられています。

そして、2007年10月には、この遺跡の溝から大量のベニバナ花粉が確認されました。
関連記事 朝日新聞

古代の人たちは、ここでいったい何をしていたのでしょうね。
桜の咲く美しい飛鳥の里で、ミステリーロマンを愉しんでください。




・・・といつまでもロマンにひたっていていただきたいのですが、
私たちがこの遺跡を見ていただきたい理由がもう一つあります。

それは、この遺跡が「奈良県立万葉文化館」という施設建設のため
道路工事をしていて発見されたという事実です。
しかもこの「万葉文化館」の建設地からは、
日本最古の貨幣「富本銭」の製作工房「飛鳥池遺跡」が発見されたのです。

にもかかわらず、多くの県民、学者などの反対運動を押し切って
県は、遺跡の上に100本以上の杭を打ち込み、展示棟を建てました。
既成大家の画家による新作万葉絵画の展示という
130億円の県税をつぎ込んだ何とも陳腐で貧困なハコモノ施設でした。
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平城宮跡への地下高速道路建設、遷都1300年行事、
高層ビルやマンション建設と景観破壊・・・
今、奈良の各地で同じ質の問題が起きています。

昔も今も「狂心の渠」(たぶれごころのみぞ)は続いているようです。

酒船石遺跡や万葉文化館などを見ていただきながら
観光・開発と遺跡保存・文化継承のあり方についても
ツアー参加者のみなさんに考えていただきたいと思っています。
by kodomowomamoru | 2007-12-30 19:22 | 3/31桜咲く大和路バスツアー
JR奈良駅を出発したバスは、奈良市から天理街道を
天理市、桜井市へと向かいます。
この道沿いには、まるで展示場のように古墳が並んでいます。

柳本古墳群、大和(オオヤマト)古墳群、纒向古墳群・・・と
まさに群れのようです。

日本の歴史上、とても大切な古代遺跡なのですが、
予備知識がなければ、ただの小山にしか見えないのが古墳です。
ですから、旅の前に少しだけでも知識・情報を学んでおくと
その魅力や意義がわかってもらえると思います。
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特に目を引くのは、「崇神陵」とされる行燈山古墳と
c0147567_15584431.jpg「景行陵」とされる渋谷向山古墳でしょうか。

しかし、なんといっても有名なのは「箸墓」と言われている大市塚古墳。
邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかという説もあり
内田康夫著のミステリー『箸墓幻想』とそのTVドラマでも有名になりました。

箸墓は、従来、構築年代が三世紀末から四世紀初頭であり、
卑弥呼が死亡したする三世紀前半との時期にずれがあるため、
その可能性は少ないといわれてきました。

しかし、近年、最近、年輪年代法や放射性炭素法による年代推定を反映して、
古墳時代の開始年代を従来より早める説が有力となってきて、
箸墓の築造年代は、研究者により多少の前後はあるものの、
卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説が一般的になっており、
箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性が高くなってきています。

この箸墓を発掘すれば、日本史上の壮大な空白である三世紀あたりの歴史に光があたり
長年の邪馬台国論争にも大きな前進がみられることは間違いないのですが、
現在は、宮内庁により第七代孝霊天皇の皇女、
倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)
として管理されており、墳丘への自由な出入りはできません。
発掘調査も自由にできない状態で、「陵墓(皇室の墓)」の調査を認めようとしない
日本の文化財行政のあり方が問われます。

(倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹です。
大市は古墳のある地名。
『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命です。)

バスから降りて、この大きな古墳をじっくりと眺めてもらいます。
古代のロマンを感じてください。

箸墓の衛星写真
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箸墓の復元模型
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by kodomowomamoru | 2007-12-30 15:28 | 3/31桜咲く大和路バスツアー